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坂村真民先生との出会いは、岐阜の博石館で坂村真民展をやっていたものを、当館社長が見て、「二度とない人生だから」「念ずれば花ひらく」の詩に感動し、直接愛媛県砥部町の坂村真民先生に連絡をし訪問、以後、手紙や電話、会報「詩国」を通してその形骸に触れ、再度訪問し、お書きいただいたものです。露天風呂にある「念ずれば花ひらく」第422番碑 に先生は「良い夫婦の碑」と命名されました。

仏教詩人坂村真民先生より当館に揮毫いただきました。 館内にはそのほかの書も展示いたしております。

碑 ▲ 東露天岩風呂にある「念ずれば花ひらく第422番碑」
(先生が「良い夫婦の碑」と名づけてくれました。)
 
坂村真民先生の書1 ▲ 西館エレベーター前にある「念ずれば花ひらく」の書
坂村真民先生の書2 ▲ フロントカウンターの後ろにある「二度とない人生だから」の書
 
坂村真民先生について

坂村真民(さかむら しんみん)
”人はどう生きるべきか”を一生の命題とする祈りの詩人。
分かりやすくて、深く掘り下げられた詩は、幼稚園児から財界人まで、年令、職業を問わず幅広く愛唱され、その生き方とあわせて、「人生の師」と仰ぐ人が多い。

明治42年(1909)1月6日熊本県荒尾市に生まれ、玉名市で育つ。本名昂(たかし)。平成18年(2006)12月11日永眠される。享年97才。

8歳の時、小学校の校長をしていた父親の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、廿えを許さぬ一徹さを身につける。昭和6年、神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳、全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。

最初は短歌を志し、昭和12年に「与謝野寛評伝」を著している。四国移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基本とした詩の創作に転じる。昭和37年、月刊詩誌「詩国」を創刊、以後1回も体むことなく毎月発刊、1200部を無償で配布していた。また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は、日本全国43都道府県に分布、その数は海外と合わせれば、現在730余基を数える。

真民詩の愛読者の中には、各界の有名人も多いが、船井幸雄氏は、坂村真民さんを日本を代表する「徳の人」25人の一人として取上げ、次のように評価している。「彼の作品の最大のポイントは、命あるものへの惜しみない愛と感謝、そして優しい激励であると言えよう。だから現代の社会に疲れた人たちは、救いとともに希望を見出し、愛唱するのである」と。(『清富の思想』)

また斎藤茂太氏は、『プラス思考がその人を強くする』という本の中で、このように言っている。「真民さんの詩や文章には、人を包み込むようなあたたかさがある。それは真民さん自身が本物だからなのだ。」「どん底を見てきた人は、人間に対する眼差しに慈愛が満ちるのだろう。」さらに斎藤氏は、真民さんが挫析と劣等感をバネに詩をつくって来たことに共感し、心から敬意を表している。

真民先生は、愛媛県砥部町にお住まいになられ、大宇宙の大和楽を念願して、老年になってからも毎日午前0時に起床、未明混沌の霊気の中で打坐し、念仏し、称名し、詩作された。午前3時30分には、月の光、星星の光を吸飲し、重信橋を渡って大地に額をつけ、地球の平安と人類の幸福を祈願しておられた。

昭和49年愛媛新聞賞(文化部門)、同55年正力松太郎賞、平成元年愛媛県教育文化賞、同3年仏教伝道文化賞の各賞を受賞。

主な著書は、詩集『自選坂村真民詩集」『坂村真民全詩集』(全6巻)、『朴』『詩国第一集』『詩国第二集』、随筆集『念ずれば花ひらく』『生きてゆく力がなくなる時』『愛の道しるベ』、詩画集『自分の花を咲かせよう』『花一輪の宇宙』『あうんの花』、韓国語対訳詩集『二度とない人生だから』、英文対訳詩集『鳥は飛ばねばならぬ』、独文対訳詩集『タンポポ』など多数。